国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る (2)
≪ (1)からの続き ≫
次に現れたのは市野瀬の集落で、国道の西側にあります。国道沿いには、「伊那里体育館」と「ゼロ磁場の宿 入野谷」があります。
この宿は「分杭峠に最も近い(5㎞)」と言われており、分杭峠が「ゼロ磁場のパワー・スポット」として持て囃された頃に出来たようです。因みに、「ゼロ磁場」は地球物理とは関係なく、飽く迄もスピリチュアルなものだそうです。
市野瀬の集落の中を、秋葉古道が通っています。この道沿いに、郵便局もJAもあります。国道152号は、集落をバイパスして、三峰川沿いを進みます。
<図20.橋を渡る1車線の国道152号> 市野瀬の集落を過ぎる手前で、三峰川は、赤石山系に向けて東へ曲がり、国道は三峰川の支流=粟沢川に沿って南進します。
国道の東側、粟沢川に掛かる橋を渡り、三峰川沿いを進むのは、県道212号「杉島市野瀬線」で、杉島~浦に到達します。
杉島の集落には、西国三十三観音「宇津木薬師堂」があり、行基が長谷の十蔵山(戸倉山、1,681m、駒ケ根市)でウツギの木に薬師如来(丈40cm)を彫り、坂上田村麻呂が戦勝御礼としてこの地に薬師堂を建立したと伝わります。古文書にも、「山中の堂にはめづらしき丁寧の普請なり」とある通り、素晴らしい建築が目を惹きます。
奥に隣接する無住の報恩寺に縁故があり、2012年4月15日には、三十三年に一度の御開帳がありました。今でも、山の斜面に数戸が点在する集落ですが、次の2044年の御開帳が無事行われることを、祈らずにはいられません。 <図21.杉島の宇津木薬師堂>
県道212号で最も奥まった浦の集落は、往古には「壇ノ浦」と自称し、今に続く平家の落人部落として知られます。平清盛の嫡男=重盛(小松殿)隠遁の地と伝えられ、重盛の墓があり、今も毎年、慰霊祭をしているそうで、ここの住人の姓には小松さんが多いそうです。
浦集落の先にも三峰川が続いていますが、県道ではなく、「前浦林道」で分杭峠に繋がります。
国道を南進すると、「この先 分杭峠 大型車両(ホイール・ベース5m以上) 通り抜けできません 伊那建設事務所」という看板が登場。 間もなくセンター・ラインが消え、道幅は1.5~1車線になります。
やがて、国道標識のポールに付随する地名標識「伊那市 粟沢」が現れ、粟沢集落の僅かな人家が見えます。
狭くなった国道に、一旦、センター・ラインが現れ、東側に「シャトル・バス発着所」が現れます。3月後半~11月後半、シャトル・バスが「分杭峠」に乗客を運んでいます。
その直ぐ先に「冬季閉鎖ゲート」があります。因みに、ここの標高は997mで、チェーン着脱場から123m登ったことになります。
バス発着所を過ぎると、国道は再び1車線になり、粟沢川の谷間が狭まり、崖上の樹木が道に被さって来ます。更に進むと「行き止まり」標識 <図22.国道152号のヘアピン・カーブ> が現れ、手前の足元には、上段に「秋葉神社」・下段に「高遠」と記した木製の古い標識があります。
中沢峠付近に端を発し伊那山地の西面を下る新宮川(シグガワ)は、深い谷を刻んで西流し、天竜川に注いでいます。伊那谷の竜東地域では、新宮川が運び出した砂礫が特異な扇状地起源の台地を作り、その上に駒ケ根市中沢の中心集落が開け、比較的多くの人口を抱えています。
中沢峠~高遠間の国道152号を行き来する車の中には、中沢集落から県道49号を通って来た車があります。
中沢峠の少し手前から、粟沢川の深い谷に向かって東側の視界が開けます。西側は伊那山地の山腹を切った高い擁壁が続き、国道は依然として1車線ですが、中沢峠の標識によれば、あと1.3kmで分杭峠です。
分杭峠が近づくと、国道の東側、1段下がった位置に、シャトル・バス発着所やトイレがあり、一般乗用車は駐車禁止になっています。
カーブの手前に、国道標識のポールに付随した地名標 <図24.分杭峠の前浦林道への分岐> 識「分杭峠」が現れ、その脇に、車両通行止めの未舗装道路「前浦林道」の峠側入口があります。
道幅は路肩のない1車線、路面もやや荒れています。
それでも、カーブの外側や橋の両側には、必ずガード・レールが設置されています。沢に掛かる小さな橋の欄干手前には、両端ないし対角線位置に、デリネータ(夜間誘導標)が立っています。
学生時代に、夜分、松原湖から茅野へ下る道を通った頃に比べれば、随分と改善されていると思いました。
一時的にセンター・ラインが現れた時があり、そこで路線バスと擦れ違いまし た。なんという幸運かと、胸を撫で下ろしました。 <図27.退避エリア&デリネータ付きの橋>
退避エリアが滅多にないのは、地形的に致し方ないのでしょう。幸いにも、対向車とすれ違ったのは1回だけでした。
自車のライトだけが頼りの、明りのない夜道で、ブラインド・カーブが続く時、土地勘のない私たちは緊張の連続で、気が付けば皆、無口になっていました。後から考えれば、夜だからこそ、対向車が1台だけだったのかも知れません。
【注】 日没後の国道に関する画像に限り、後日、Google Street View でトレースしたものです。
文責 : 南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ in 銚子ジオパーク推進市民の会
≪ (3)に続く ≫
≪ (1)からの続き ≫
川を隔てた東側には中尾の集落が広がる筈ですが、国道からは木々に遮られて見えません。
この集落には、農村歌舞伎の「中尾歌舞伎」があり、今秋の興行は11月にあるそうです。1990年に完成した「中尾座」の柿葺落(コケラオトシ)には、十二代目 市川團十郎を呼んだそうです。
戦争で一旦は途絶えたものの、40年後に復活した中尾歌舞伎は、若者がお年寄りの指導を受けて継承し、伊那市の無形民俗文化財に指定されています。
陽の落ちた山道で、運転者はカーナビを、それ以外のスタッフは自車の <図19.中尾の中尾座> ライトに浮かび上がる道路標識を、それぞれ頼りにしていました。
この集落には、農村歌舞伎の「中尾歌舞伎」があり、今秋の興行は11月にあるそうです。1990年に完成した「中尾座」の柿葺落(コケラオトシ)には、十二代目 市川團十郎を呼んだそうです。
戦争で一旦は途絶えたものの、40年後に復活した中尾歌舞伎は、若者がお年寄りの指導を受けて継承し、伊那市の無形民俗文化財に指定されています。
陽の落ちた山道で、運転者はカーナビを、それ以外のスタッフは自車の <図19.中尾の中尾座> ライトに浮かび上がる道路標識を、それぞれ頼りにしていました。
中尾の集落を過ぎると、一旦集落は途絶え、大規模な川砂採取場が現れます。それを過ぎると「チェーン着脱場」があり、ここから先の急な傾斜を予想させます。因みに、ここの標高は874mで、高遠公園下から119m登ったことになります。
次に現れたのは市野瀬の集落で、国道の西側にあります。国道沿いには、「伊那里体育館」と「ゼロ磁場の宿 入野谷」があります。
この宿は「分杭峠に最も近い(5㎞)」と言われており、分杭峠が「ゼロ磁場のパワー・スポット」として持て囃された頃に出来たようです。因みに、「ゼロ磁場」は地球物理とは関係なく、飽く迄もスピリチュアルなものだそうです。
市野瀬の集落の中を、秋葉古道が通っています。この道沿いに、郵便局もJAもあります。国道152号は、集落をバイパスして、三峰川沿いを進みます。
<図20.橋を渡る1車線の国道152号> 市野瀬の集落を過ぎる手前で、三峰川は、赤石山系に向けて東へ曲がり、国道は三峰川の支流=粟沢川に沿って南進します。
国道の東側、粟沢川に掛かる橋を渡り、三峰川沿いを進むのは、県道212号「杉島市野瀬線」で、杉島~浦に到達します。
杉島の集落には、西国三十三観音「宇津木薬師堂」があり、行基が長谷の十蔵山(戸倉山、1,681m、駒ケ根市)でウツギの木に薬師如来(丈40cm)を彫り、坂上田村麻呂が戦勝御礼としてこの地に薬師堂を建立したと伝わります。古文書にも、「山中の堂にはめづらしき丁寧の普請なり」とある通り、素晴らしい建築が目を惹きます。
奥に隣接する無住の報恩寺に縁故があり、2012年4月15日には、三十三年に一度の御開帳がありました。今でも、山の斜面に数戸が点在する集落ですが、次の2044年の御開帳が無事行われることを、祈らずにはいられません。 <図21.杉島の宇津木薬師堂>
県道212号で最も奥まった浦の集落は、往古には「壇ノ浦」と自称し、今に続く平家の落人部落として知られます。平清盛の嫡男=重盛(小松殿)隠遁の地と伝えられ、重盛の墓があり、今も毎年、慰霊祭をしているそうで、ここの住人の姓には小松さんが多いそうです。
浦集落の先にも三峰川が続いていますが、県道ではなく、「前浦林道」で分杭峠に繋がります。
国道を南進すると、「この先 分杭峠 大型車両(ホイール・ベース5m以上) 通り抜けできません 伊那建設事務所」という看板が登場。 間もなくセンター・ラインが消え、道幅は1.5~1車線になります。
やがて、国道標識のポールに付随する地名標識「伊那市 粟沢」が現れ、粟沢集落の僅かな人家が見えます。
狭くなった国道に、一旦、センター・ラインが現れ、東側に「シャトル・バス発着所」が現れます。3月後半~11月後半、シャトル・バスが「分杭峠」に乗客を運んでいます。
その直ぐ先に「冬季閉鎖ゲート」があります。因みに、ここの標高は997mで、チェーン着脱場から123m登ったことになります。
バス発着所を過ぎると、国道は再び1車線になり、粟沢川の谷間が狭まり、崖上の樹木が道に被さって来ます。更に進むと「行き止まり」標識 <図22.国道152号のヘアピン・カーブ> が現れ、手前の足元には、上段に「秋葉神社」・下段に「高遠」と記した木製の古い標識があります。
秋葉古道は、粟沢川沿いを、ここから「分杭峠」に急坂で直登して いたと思われますが、今では砂防ダムで塞がれています。
一方、国道はここ迄、ほぼ真直ぐに南進していましたが、ここからは粟沢川から離れ、ヘアピン・カーブで右に180度反転し、「中沢峠」に向かって登ります。次々に現れるヘアピン・カーブと、その間を繋ぐ九十九(ツヅラ)折れ、”峠道”の面目躍如といったところです。
最早、人家も在りません。カーナビだけは受信できていますが、携帯電話は先程から通じなくなっています。
ヘアピン・カーブを4回曲がると、駒ケ根市との境界線上の分岐=県道49号があります。この位置に、国道標識のポールに付随した地名標識「中沢峠」があり、この峠の頂上で標高1,317mです。冬季閉鎖ゲートから312m登 <図23.中沢峠の標識と熊出没注意の看板>ってきました。足元の看板は「熊出没注意」です。
一方、国道はここ迄、ほぼ真直ぐに南進していましたが、ここからは粟沢川から離れ、ヘアピン・カーブで右に180度反転し、「中沢峠」に向かって登ります。次々に現れるヘアピン・カーブと、その間を繋ぐ九十九(ツヅラ)折れ、”峠道”の面目躍如といったところです。
最早、人家も在りません。カーナビだけは受信できていますが、携帯電話は先程から通じなくなっています。
ヘアピン・カーブを4回曲がると、駒ケ根市との境界線上の分岐=県道49号があります。この位置に、国道標識のポールに付随した地名標識「中沢峠」があり、この峠の頂上で標高1,317mです。冬季閉鎖ゲートから312m登 <図23.中沢峠の標識と熊出没注意の看板>ってきました。足元の看板は「熊出没注意」です。
中沢峠付近に端を発し伊那山地の西面を下る新宮川(シグガワ)は、深い谷を刻んで西流し、天竜川に注いでいます。伊那谷の竜東地域では、新宮川が運び出した砂礫が特異な扇状地起源の台地を作り、その上に駒ケ根市中沢の中心集落が開け、比較的多くの人口を抱えています。
中沢峠~高遠間の国道152号を行き来する車の中には、中沢集落から県道49号を通って来た車があります。
中沢峠の少し手前から、粟沢川の深い谷に向かって東側の視界が開けます。西側は伊那山地の山腹を切った高い擁壁が続き、国道は依然として1車線ですが、中沢峠の標識によれば、あと1.3kmで分杭峠です。
分杭峠が近づくと、国道の東側、1段下がった位置に、シャトル・バス発着所やトイレがあり、一般乗用車は駐車禁止になっています。
カーブの手前に、国道標識のポールに付随した地名標 <図24.分杭峠の前浦林道への分岐> 識「分杭峠」が現れ、その脇に、車両通行止めの未舗装道路「前浦林道」の峠側入口があります。
赤いゲートが開いており、冬季は閉鎖されることが分かります。ここを少し下ると、ゼロ磁場のパワースポットを訪れる観光客向けの「気場」と「水汲み場」があるようです。
前浦林道は、先述の浦集落から続いていましたが、途中の土砂崩れによって、現在は到達できないそうです。
前浦林道入口の手前に、人の背丈ほどの『従是北(コレヨリキタ) 高遠領』と刻まれた石柱があります。脇の看板が標高1,424mを示しています。中沢峠から103m、伊那市駅から769m登って来ました。伊那市駅から29.5kmで、53分掛かりました。 <図25.「従是北 高遠領」の石柱>
国道152号のカーブを曲がると、切通しの先に、伊那市と大鹿村の境界があります。
ここに、秋葉古道への分岐を示す標識があります。この先の道の険しさを示すかのように、「自己責任にて古道歩きを楽しんで下さい」との但し書きが付随しています。古道は、ここから、小渋川の支流=鹿塩川に向けて、分杭峠の東斜面を下って行きます。
国道は、ヘアピン・カーブを曲がる時に、伊那山地に端を発して東流する鹿塩川の最上流付近を渡り、右に迂回します。その道が戻り始めるところで再度、鹿塩 < 図26.秋葉古道の標識> 川を渡り、それからは、この川を西側に見乍ら、川に沿って坂道を南に下って行きます。
前浦林道は、先述の浦集落から続いていましたが、途中の土砂崩れによって、現在は到達できないそうです。
前浦林道入口の手前に、人の背丈ほどの『従是北(コレヨリキタ) 高遠領』と刻まれた石柱があります。脇の看板が標高1,424mを示しています。中沢峠から103m、伊那市駅から769m登って来ました。伊那市駅から29.5kmで、53分掛かりました。 <図25.「従是北 高遠領」の石柱>
国道152号のカーブを曲がると、切通しの先に、伊那市と大鹿村の境界があります。
ここに、秋葉古道への分岐を示す標識があります。この先の道の険しさを示すかのように、「自己責任にて古道歩きを楽しんで下さい」との但し書きが付随しています。古道は、ここから、小渋川の支流=鹿塩川に向けて、分杭峠の東斜面を下って行きます。
国道は、ヘアピン・カーブを曲がる時に、伊那山地に端を発して東流する鹿塩川の最上流付近を渡り、右に迂回します。その道が戻り始めるところで再度、鹿塩 < 図26.秋葉古道の標識> 川を渡り、それからは、この川を西側に見乍ら、川に沿って坂道を南に下って行きます。
分杭峠で中央構造線から外れた国道が、ここで元に戻りました。
国道標識のポールに付随した地名標識「大鹿村 北川」がある位置で、東の山から下りて来た道が国道に合流します。入口が通行止めになっていますが、先程の秋葉古道かもしれません。もしそうなら、粟沢川の砂防ダムを迂回しつつ、分杭峠の中央構造線を通って来たのでしょうか?
国道標識のポールに付随した地名標識「大鹿村 北川」がある位置で、東の山から下りて来た道が国道に合流します。入口が通行止めになっていますが、先程の秋葉古道かもしれません。もしそうなら、粟沢川の砂防ダムを迂回しつつ、分杭峠の中央構造線を通って来たのでしょうか?
道幅は路肩のない1車線、路面もやや荒れています。
それでも、カーブの外側や橋の両側には、必ずガード・レールが設置されています。沢に掛かる小さな橋の欄干手前には、両端ないし対角線位置に、デリネータ(夜間誘導標)が立っています。
学生時代に、夜分、松原湖から茅野へ下る道を通った頃に比べれば、随分と改善されていると思いました。
一時的にセンター・ラインが現れた時があり、そこで路線バスと擦れ違いまし た。なんという幸運かと、胸を撫で下ろしました。 <図27.退避エリア&デリネータ付きの橋>
退避エリアが滅多にないのは、地形的に致し方ないのでしょう。幸いにも、対向車とすれ違ったのは1回だけでした。
自車のライトだけが頼りの、明りのない夜道で、ブラインド・カーブが続く時、土地勘のない私たちは緊張の連続で、気が付けば皆、無口になっていました。後から考えれば、夜だからこそ、対向車が1台だけだったのかも知れません。
【注】 日没後の国道に関する画像に限り、後日、Google Street View でトレースしたものです。
文責 : 南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ in 銚子ジオパーク推進市民の会