2014年10月

国道152号を行く (5)

国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る (5)
                                                       ≪ (4)からの続き ≫

急傾斜の生活道路Ed 入沢井・中峰林道の分岐を過ぎると、国道の両側に、小規模な棚田が現れ、人家が散在しています。時々、東の山に登ってゆく急坂が現れます。沢を渡る所にこそ網のフェンスがあるものの、それ以外にはガードレールのない道が、生活道路に使われているようです。凍結する時期には慣れないと危ない道です。
 棚田が切れて、鹿塩川が国道のすぐ西側を流れている河畔では、対岸が近くに見え、比較的最近崩大鹿村大栗&三波川石Ed落したと思われる領家変成岩岩肌が
      <図42.急坂で沢を渡る道路
>               目立ちます。     
 国道標識のポールに付随する地名標識「大栗」が現れ、足元に青みを帯びた三波川変成岩が見えます。対抗方向の国道標識のポールに付随する地名標識は「柳島」です。「柳島」が現れ
秋葉古道の標識Ed
るのは2回目です。つまり、先述の  (4)で、私は勘違いしていました。ここまでが柳島集落だったのです。      <図43.地名標識「大栗」&三波川変成岩> 

 やがて、赤い橋梁の橋が現れ、袂には秋葉古道の木製立札が立っています。橋の向こうには集落が見えます。こちらが大栗の主な集落で、かつての秋葉街道は集落側を通っていたのでしょう。
 集落をバイパスする新しい国道を進むと、相変わらず東は崖を削った擁壁が所々に現れ、西は道路ぎりぎりを鹿塩川が流れていますが、川向こうに点在する人家に気持ちが安らぎます。橋から見る鹿塩川Ed
  少し進むと、対抗方向で、国道標識のポールに付随する地名標識「大栗」が現れ、ここ迄で
<図44.大栗橋から見る鹿塩川 大栗集落は終わります。
 先程分岐した秋葉古道が戻って来る橋が見あります。袂にはやはり、秋葉古道の木製立札が立っていますが、こちらは墨が流れて読めません。

 秋葉古道の戻り口より手前の国道の東側に、入沢井・中峰林道への分岐があり、(4)で先述した分岐の戻り口になっています。
 ヘアピン・カーブの続く中峰の林道沿いに、何か所か纏まって、鹿塩の集落があります。          
 急坂となる分岐の入口には、「青いケシ 大池方面」の立て看板があり、  <図45.大栗集落の橋から見る鹿塩川>  対向方向には「するぎ(駿木)農園村3.5km」の木製標識や、10分で着くという農家レストランの看板が立っています。

 この分岐を過ぎると、国道の東側に小さな棚田が現われ、周辺に人家が点在し、続いて大鹿中学校が現われます。ここは塩原集落です                          
農村体験館Ed 擁壁が切れて、東側の斜面に豆類が植えられている所では、鹿塩川と国道の間に、都会からの自炊客を対象にした「農村体験館」の建物が並んでいます。ここは、都市農村交流事業として設立20年を超える、日本型グリーン・ツーリズムの先進地だそうです。
 この種の施設への訪問を切っ掛けに、大鹿村に I ターンした人も100名を超えるそうです。移住者へのインタビューでは、地元民くな親切が身に染みて、移住を決意し            <図36.鹿塩の農村体験館>               た人が多いようです。
 
小塩地滑アンカーEd  蛇行する鹿塩川に沿って国道も蛇行し、東側に高い擁壁が続いた後、道幅が1.5車線ほどに広くなり、崖の上に蕎麦屋が現れます。その先で、国道標識のポールに付随する地名標識「大塩」が現れます。大塩の集落です。標高は890mで、中峰黒川林道分岐から33mしか下っておらず、カーブは多いものの、かなり平坦な道になっていることが分かります。
 ここの対向方向に、「この先 分杭峠 大型車両(ホイール・ベース5m以上) 通り抜けできません 飯田建設事務所」という看板が登場。これは私たちの通ってきた道の話ですから、逆に、進行方向には、     <図37.小塩地滑り地帯のアンカー工事>     間もなくセンター・ラインが登場し、道幅が2車線になることを期待させます。
下り勾配&小塩 国道沿いに住宅が点在する大塩の集落を抜けると、西流して来た小さな沢と鹿塩川の合流の橋があります。その橋の手前で、国道にセンター・ラインが現れます。
 橋を渡って国道を進むと直ぐ、東の高い擁壁の前に、斜度標識「下り勾配10.5%」のポールが現れます。このポールに付随する地名標識は、標識のある場所が「小塩」であることを表しています。
 この位置で、国道西側の林の中に、消えかかった細い道が分岐して行きます。秋葉古道は、崖を切り崩すことなく、迂回していたものと思われます。
 国道沿いは高い擁壁が断続する小塩の集落ですが、崖の上や、国道と鹿塩川の間に人家が散在しています。
 崖と林が切れると、人家の先に、迂回していた秋葉古道が戻って来ます。
<図38.斜度標識&「小塩」の地名標識
 西流して来た大きな沢と鹿塩川の合流の橋の手前で、東に沢沿いの道が分岐しています。分岐の角に大き
な桜の木があり、「夫婦桜」の札が立っています。

小塩地滑工事看板Ed 橋の上からは、沢の対岸に「小塩地区 直轄 地すべり防止事業 林野庁中部森林管理局」という看板が見えます。 
 ここは、国内有数の大規模地滑り地帯で、昭和40年代には年間1.5mほど動いていたそうです。対策工事の結果、今では動きが止まっていますが、今度はその上部が動いているようで、現在、GPSで観測中だそうです。
 小塩地区の地滑り地帯は、(1)に先述した三波川変成岩類の結晶片岩
(黒色片岩や緑色片岩)の地層で、薄く剝れ易い特徴があり、何かあると、大規模な崩落を起こします。                             
 ここでは、元々脆い地盤を、大量の地下水が崩壊させると考えられてお <図39.「小塩地区地すべり防止事業」の看板り、集水井や集水トンネルが作られ、補強アンカーが打込まれていますが、そのトンネル工事中にも出水でトンネルが崩落したり、水圧でアンカーが吹き飛ぶなど、工事は度々難航 するようです。

行先標識&柳島Ed2 袂に「夫婦桜」のある橋を渡ると、対向方向で、国道標識のポールに付随する地名標識「小塩」が現れ、ここ迄で小塩の集落が終わります。
 東の高い擁壁と、西の鹿塩川に挟まれた谷間の道を南進すると、擁壁が切れた辺りから、国道の両側に小さな集落が見えてきます。
 対向方向で、ブルーの行先標識「入沢井・中峰」のポールが現れ、入沢井・中峰林道が、国道から東へ分岐する急坂があります。このポールに付随する地名標識は、標識のある場所が「柳島」であることを表しています。 即ち、対向方向の集落標識が「小塩」~「柳
島」の間が、柳島集落だったことになります。
 この標識ポールの足元に、「青いけし」の立て看板があります。私たちの進行方向には、地名標識はないものの、行先標識と「青いけし」の立て看板だけはあります。
<図40.入沢伊・中峰林道分岐&「柳島」標識
大池湿地九輪草Ed 入沢井・中峰林道は、中峰~入沢井経由で、大池高原に通じています。大池高原を経由して、中峰・黒川林道に通じています。即ち、儀内路集落で国道152号から分岐し、北川・黒川 牧場に至る、(3)に先述の林道と繋がっています。
  大池高原には、澄んだ水を湛える大池(周囲2km)や、高山植物の咲く湿地帯があります。近くには、ヒマラヤの「青いけし」を育てている農園もあり、この林道は、花の季節には賑わいます。

 大池高原の西斜面を直滑降すると、小塩地区に至ります。即ち、大池高原は小塩地区の山頂部に相当します。大池と周辺の湿地帯の豊富な水 <図41.クリンソウ(九輪草)咲く大池周辺の湿地量が、元々地盤の脆い小塩地区に、地滑りを齎しているように見えます。
                                
【注】 日没後の国道に関する画像に限り、後日、Google Street View でトレースしたものです。

 文責 :  南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ  in  銚子ジオパーク推進市民の会

                                                       ≪ (6)に続く ≫

国道152号を行く (4)

国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る (4)
                                                       ≪ (3)からの続き ≫

国道沿いの鹿塩川Ed 黒川沢に掛かる橋を渡ると、国道の左右の平地が狭まり、田畑も人家も途絶えます。鹿塩川は、国道の西側ぎりぎりを流れています。
 やがて東側の山を削った擁壁が現れると、鹿塩川と国道の間に、僅かな集落と畑が現れます。対向方向で、国道標識のポールに付随する地名標識「儀内路」が現れ、ここ迄で儀内路の集落が終わります。
 カーブや橋の袂には滑り止め砂や融雪材(塩化カルシウム)の袋を置いた箱が置かれています。冬の凍結時に道路に撒くのでしょう。海沿いの街で暮らす者にとっては、環境の違いを知る道でもあります。                                                <図35.、国道の際を流れる鹿塩川
農村体験館Ed 擁壁が切れて、東側の斜面に豆類が植えられている所では、鹿塩川と国道の間に、都会からの自炊客を対象にした「農村体験館」の建物が並んでいます。ここは、都市農村交流事業として設立20年を超える、日本型グリーン・ツーリズムの先進地だそうです。
 この種の施設への訪問を切っ掛けに、大鹿村に I ターンした人も100名を超えるそうです。移住者へのインタビューでは、地元民くな親切が身に染みて、移住を決意し            <図36.鹿塩の農村体験館>               た人が多いようです。
 
小塩地滑アンカーEd  蛇行する鹿塩川に沿って国道も蛇行し、東側に高い擁壁が続いた後、道幅が1.5車線ほどに広くなり、崖の上に蕎麦屋が現れます。その先で、国道標識のポールに付随する地名標識「大塩」が現れます。大塩の集落です。標高は890mで、中峰黒川林道分岐から33mしか下っておらず、カーブは多いものの、かなり平坦な道になっていることが分かります。
 ここの対向方向に、「この先 分杭峠 大型車両(ホイール・ベース5m以上) 通り抜けできません 飯田建設事務所」という看板が登場。これは私たちの通ってきた道の話ですから、逆に、進行方向には、     <図37.小塩地滑り地帯のアンカー工事>     間もなくセンター・ラインが登場し、道幅が2車線になることを期待させます。
下り勾配&小塩 国道沿いに住宅が点在する大塩の集落を抜けると、西流して来た小さな沢と鹿塩川の合流の橋があります。その橋の手前で、国道にセンター・ラインが現れます。
 橋を渡って国道を進むと直ぐ、東の高い擁壁の前に、斜度標識「下り勾配10.5%」のポールが現れます。このポールに付随する地名標識は、標識のある場所が「小塩」であることを表しています。
 この位置で、国道西側の林の中に、消えかかった細い道が分岐して行きます。秋葉古道は、崖を切り崩すことなく、迂回していたものと思われます。
 国道沿いは高い擁壁が断続する小塩の集落ですが、崖の上や、国道と鹿塩川の間に人家が散在しています。
 崖と林が切れると、人家の先に、迂回していた秋葉古道が戻って来ます。
<図38.斜度標識&「小塩」の地名標識
 西流して来た大きな沢と鹿塩川の合流の橋の手前で、東に沢沿いの道が分岐しています。分岐の角に大き
な桜の木があり、「夫婦桜」の札が立っています。

小塩地滑工事看板Ed 橋の上からは、沢の対岸に「小塩地区 直轄 地すべり防止事業 林野庁中部森林管理局」という看板が見えます。 
 ここは、国内有数の大規模地滑り地帯で、昭和40年代には年間1.5mほど動いていたそうです。対策工事の結果、今では動きが止まっていますが、今度はその上部が動いているようで、現在、GPSで観測中だそうです。
 小塩地区の地滑り地帯は、(1)に先述した三波川変成岩類の結晶片岩
(黒色片岩や緑色片岩)の地層で、薄く剝れ易い特徴があり、何かあると、大規模な崩落を起こします。                             
 ここでは、元々脆い地盤を、大量の地下水が崩壊させると考えられてお <図39.「小塩地区地すべり防止事業」の看板り、集水井や集水トンネルが作られ、補強アンカーが打込まれていますが、そのトンネル工事中にも出水でトンネルが崩落したり、水圧でアンカーが吹き飛ぶなど、工事は度々難航 するようです。

行先標識&柳島Ed2 袂に「夫婦桜」のある橋を渡ると、対向方向で、国道標識のポールに付随する地名標識「小塩」が現れ、ここ迄で小塩の集落が終わります。
 東の高い擁壁と、西の鹿塩川に挟まれた谷間の道を南進すると、擁壁が切れた辺りから、国道の両側に小さな集落が見えてきます。
 対向方向で、ブルーの行先標識「入沢井・中峰」のポールが現れ、入沢井・中峰林道が、国道から東へ分岐する急坂があります。このポールに付随する地名標識は、標識のある場所が「柳島」であることを表しています。 即ち、対向方向の集落標識が「小塩」~「柳
島」の間が、柳島集落だったことになります。
 この標識ポールの足元に、「青いけし」の立て看板があります。私たちの進行方向には、地名標識はないものの、行先標識と「青いけし」の立て看板だけはあります。
<図40.入沢伊・中峰林道分岐&「柳島」標識
大池湿地九輪草Ed 入沢井・中峰林道は、中峰~入沢井経由で、大池高原に通じています。大池高原を経由して、中峰・黒川林道に通じています。即ち、儀内路集落で国道152号から分岐し、北川・黒川 牧場に至る、(3)に先述の林道と繋がっています。
  大池高原には、澄んだ水を湛える大池(周囲2km)や、高山植物の咲く湿地帯があります。近くには、ヒマラヤの「青いけし」を育てている農園もあり、この林道は、花の季節には賑わいます。

 大池高原の西斜面を直滑降すると、小塩地区に至ります。即ち、大池高原は小塩地区の山頂部に相当します。大池と周辺の湿地帯の豊富な水 <図41.クリンソウ(九輪草)咲く大池周辺の湿地量が、元々地盤の脆い小塩地区に、地滑りを齎しているように見えます。
                                
【注】 日没後の国道に関する画像に限り、後日、Google Street View でトレースしたものです。

 文責 :  南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ  in  銚子ジオパーク推進市民の会

                                                       ≪ (5)に続く ≫

国道152号を行く (3)

国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る (3)
                                                       ≪ (2)からの続き ≫

北川露頭駐車場Ed 2日目の9月28日(日)の日もとうに暮れて、時計の針は18:00を回りました。車は相変わらず道幅1車線の国道152号を、鹿塩川に沿って南に下っています。
 ややあって、川と国道との間隔が広くなり、『中央構造線 北側露頭』の広い駐車場が現れます。ここは、明日29日(月)のジオツアーに組み込まれているジオサイトです。標高は1,204mで、分杭峠頂上から220m下って来ました。

       <図28.北川露頭の駐車場         昭和36(1961)年6月27日、梅雨末期の集中豪雨に伴う「西山」の崩壊に
井上先生称徳碑Edよる土石流で、鹿塩小学校北川分校が破壊されました。
 その2日後には、鹿塩川の支流=「大花沢」からの土石流で、鹿塩川の川床が上昇し、当時住んでいた39戸の民家のうち、数戸を残して土砂に埋まり、3名の方が犠牲になりました。川に掛かっていた橋も流され、コンクリート部分だけが、今も残っています。 
 北川露頭は、この「36災害」で土砂が流されて露頭したもので、駐車場入口から1.5km北の鹿塩川沿いにあります。
 駐車場は木地師=大倉家の跡地だそうです。家は流され、  <図29.北川集落跡の神社&井上先生称徳碑(右端)>    露頭の山側に石垣だけが残っています。            
北川災害復興記念碑2Ed 北川露頭の駐車場の筋向いに、よく手入れされた境内を持った北川集落の神社があります。
   
36災害で壊滅的な被害を蒙り、2年後に全戸が離村する迄は、ここで村の祭礼が行われていたことでしょう。
 神社の境内、摂社の近くに、『井上先生称徳碑』があります。
  これは、流失した北川分校の校庭にあったもので、36災害から12年後の1973年に、100m下流の鹿塩川の中から発見されました。
 この碑は、北川集落を心の拠り所としている人々によって、集落の跡地に復元建立されました。
北川集落跡Ed2  <図30.災害復興記念碑と鹿塩川の流れ
 国道を隔てて神社跡とは反対側に、シャトル・バス発着所があり、
鹿村役場方向から分杭峠に行く人の為に便宜を図っています。

 廃村となった北川地域を南に下ると、
国道152号は、西流する支流の大花沢鹿塩川の合流点の、手前と先で2回、橋を渡ります。
 ここ迄
来ると、鹿塩川の川床は深く削られて国道との高低差も大きくなり、川幅も広がって橋が長くなります。
 2
つの橋の間に、嘗ての北川集落の中心があったそうです。
 今ここには、『災害復興記念碑』の建つ広場があり、国道の方を向いて地蔵尊も建っています。

 不思議なことに、国土地理院の1/25,000の地図を見ると、ここでの鹿塩川の流れは東へ膨らんでいます。一方、ゼンリンの最新の地図では、川と    <図31.北川集落跡と流亡した橋の跡
国道に挟まれたエリアの一部を抉り取るような流れに変わっています。          (天竜川上流河川事務所より)>
 これが36災害が残した川の軌跡なのでしょうか?                                                             
 
手開沢付近国道青岩Ed2 国道152号を更に南へ下ると、西流する支流の「手開沢」と鹿塩川の合流点の橋を渡る手前で、国道標識のポールに付随する地名標識「女高(オナタカ)」が現れます。橋の手前で、東側から、秋葉古道が合流しています。
 手開沢を渡った道路東側の法面は、3年程前に崩落したそうです。土石流があった箇所では、コンクリート製の擁壁の更に上方向に、新しい擁壁を追加しています。
 金網が張ってあるだけの所は、破砕された礫が落ちて来るのでしょうか?岩が剥き出しの所は、少し安全なのかも知れません。何れにしても、豪雨の日には通りたくない場所と思わせます。
 <図32.手開沢付近の国道沿いの青い岩>     擁壁がない部分では、(1)で先述の三波川変成岩類の青みを帯びた岩に木の根が巻きつき、岩の隙間に入り込んでいる様子も見えます。
 擁壁が少し低くなって来た辺りに、「飯田建設事務所」と書かれたゲートがあります。何か(雪・豪雨・土砂崩れ etc.?)あれば閉まる、つまり、割合頻繁に何かで閉まることを予想させます。

女高集落Ed 国道標識のポールに付随する女高の地名標識が2回目に現れた後、国道は、鹿塩川の支流が東から合流する地点に向かって坂を下りて行きます。この支流を渡る橋の手前に、支流に沿って「北川牧場」へ至る未舗装道路との分岐があります。
 この橋を渡ると、東側の視界が開け、国道沿いに僅かな畑、東の「女高沢」方向の奥まった高台に人家が見えます。女高の集落です。北川集落亡き後、国道152号沿いでは、大鹿村側で最奥の集落でしょうか?                  <図33.女高の高台の集落>           
 集落へ上る緩く長い坂道に、電柱の列が目立ちます。東の沢からの水を集めた小川を渡る時、「砂防指定地」の看板があり、地滑り地帯に気づかされます。     
 やや進むと、鹿塩川に掛かる比較的新しい橋があり、橋の向こう、電柱と道路の奥には、伊那山地を背景に数軒の集落が見えます。
                                  
儀内路集落Ed 平坦な畑の中を通る、農道のように狭い国道沿いにも人家が現れるようになると、国道標識のポールに付随する地名標識「儀内路(ギナイジ)」が現れます。国道152号沿いでは、大鹿村側で、奥から2番目の集落です。
 鹿除けのネットを張った畑があり、最初に現れた2件は廃屋化していましたが、3番目からは人が住んでいました。
 国道沿い東側に『治山二十年』の立派な石碑があり、その続きに「中峰・黒川林道」の分岐があります。行き先は、「北川・黒川 牧場」となっ <図34.儀内路の標識と鹿余けネットの畑と人家> ています。分岐点の標高は923mで、北川露頭の駐車場から281m下  って来ました。
 この林道は、鹿塩川の支流=「黒川沢」に沿って登り、そ上流部から南の「塩川」の上流部へ進み、塩川に沿って下り、「鹿塩郵便局」前で国道152号へと戻ります。冬は長期に亘って全面通行止めになるものの、季節と天候が良ければ、アルプスの眺望や高山植物が素晴らしく、人気の林道です。
 中峰黒川林道の分岐を過ぎ、黒川沢に掛かる橋の手前迄は、棚田に稲が実っています。千葉県では、この季節、刈入れが終わっていますが、気温の差でしょうか、長野県では未だのようです。
                                    
【注】 日没後の国道に関する画像に限り、後日、Google Street View でトレースしたものです。

 文責 :  南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ  in  銚子ジオパーク推進市民の会

                                                       ≪ (4)に続く ≫

国道152号を行く (2)

国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る (2)
                                                    ≪ (1)からの続き ≫
 
中尾座1_20080520Ed 川を隔てた東側には中尾の集落が広がる筈ですが、国道からは木々に遮られて見えません。
 この集落には、農村歌舞伎の「中尾歌舞伎」があり、今秋の興行は11月にあるそうです。1990年に完成した「中尾座」の柿葺落(コケラオトシ)には、十二代目 市川團十郎を呼んだそうです。
 戦争で一旦は途絶えたものの、40年後に復活した中尾歌舞伎は、若者がお年寄りの指導を受けて継承し、伊那市の無形民俗文化財に指定されています。                             
 陽の落ちた山道で、運転者はカーナビを、それ以外のスタッフは自車の       <図19.中尾の中尾座>       ライトに浮かび上がる道路標識を、それぞれ頼りにしていました。
 中尾の集落を過ぎると、一旦集落は途絶え、大規模な川砂採取場が現れます。それを過ぎると「チェーン着脱場」があり、ここから先の急な傾斜を予想させます。因みに、ここの標高は874mで、高遠公園下から119m登ったことになります。

秋葉街道1車線_大花沢付近 次に現れたのは市野瀬の集落で、国道の西側にあります。国道沿いには、「伊那里体育館」と「ゼロ磁場の宿 入野谷」があります。
 この宿は「分杭峠に最も近い(5㎞)」と言われており、分杭峠が「ゼロ磁場のパワー・スポット」として持て囃された頃に出来たようです。因みに、「ゼロ磁場」は地球物理とは関係なく、飽く迄もスピリチュアルなものだそうです。
 市野瀬の集落の中を、秋葉古道が通っています。この道沿いに、郵便局もJAもあります。国道152号は、集落をバイパスして、三峰川沿いを進みます。

  <図20.橋を渡る1車線の国道152号>     市野瀬の集落を過ぎる手前で、三峰川は、赤石山系に向けて東へ曲がり、国道は三峰川の支流=粟沢川に沿って南進します。
 国道の東側、粟沢川に掛かる橋を渡り、三峰川沿いを進むのは、県道212号「杉島市野瀬線」で、杉島~浦に到達します。
杉島宇津木薬師2Ed 杉島の集落には、西国三十三観音「宇津木薬師堂」があり、行基が長谷の十蔵山(戸倉山、1,681m、駒ケ根市)ウツギの木に薬師如来(丈40cm)を彫り、坂上田村麻呂が戦勝御礼としてこの地に薬師堂を建立したと伝わります。古文書にも、「山中の堂にはめづらしき丁寧の普請なり」とある通り、素晴らしい建築が目を惹きます。
 奥に隣接する無住の報恩寺に縁故があり、2012年4月15日には、三十三年に一度の御開帳がありました。今でも、山の斜面に数戸が点在する集落ですが、次の2044年の御開帳が無事行われることを、祈らずにはいられません。                                                             <図21.杉島の宇津木薬師堂                                             
 県道212号で最も奥まった浦の集落は、往古には「壇ノ浦」と自称し、今に続く平家の落人部落として知られます。平清盛の嫡男=重盛(小松殿)隠遁の地と伝えられ、重盛の墓があり、今も毎年、慰霊祭をしているそうで、ここの住人の姓には小松さんが多いそうです。
 浦集落の先にも三峰川が続いていますが、県道ではなく、「前浦林道」で分杭峠に繋がります。

 国道を南進すると、「この先  分杭峠 大型車両(ホイール・ベース5m以上) 通り抜けできません 伊那建設事務所」という看板が登場。 間もなくセンター・ラインが消え、道幅は1.5~1車線になります。
 やがて、国道標識のポールに付随する地名標識「伊那市 粟沢」が現れ、粟沢集落の僅かな人家が見えます。
#152のヘアピンカーブEd 狭くなった国道に、一旦、センター・ラインが現れ、東側に「シャトル・バス発着所」が現れます。3月後半~11月後半、シャトル・バスが「分杭峠」に乗客を運んでいます。
 その直ぐ先に「冬季閉鎖ゲート」があります。因みに、ここの標高は997mで、チェーン着脱場から123m登ったことになります。

 バス発着所を過ぎると、国道は再び1車線になり、粟沢川の谷間が狭まり、崖上の樹木が道に被さって来ます。更に進むと「行き止まり」標識      <図22.国道152号のヘアピン・カーブ>     が現れ、手前の足元には、上段に「秋葉神社」・下段に「高遠」と記した木製の古い標識があります。
 秋葉古道は、粟沢川沿いを、ここから「分杭峠」に急坂で直登して いたと思われますが、今では砂防ダムで塞がれています。
中沢峠Ed 一方、国道はここ迄、ほぼ真直ぐに南進していましたが、ここからは粟沢川から離れ、ヘアピン・カーブで右に180度反転し、「中沢峠」に向かって登ります。次々に現れるヘアピン・カーブと、その間を繋ぐ九十九(ツヅラ)折れ、”峠道”の面目躍如といったところです。
 最早、人家も在りません。カーナビだけは受信できていますが、携帯電話は先程から通じなくなっています。
 ヘアピン・カーブを4回曲がると、駒ケ根市との境界線上の分岐=県道49号があります。この位置に、国道標識のポールに付随した地名標識「中沢峠」があり、この峠の頂上で標高1,317mです。冬季閉鎖ゲートから312m登  <図23.中沢峠の標識と熊出没注意の看板>ってきました。足元の看板は「熊出没注意」です。

 中沢峠付近に端を発し伊那山地の西面を下る新宮川(シグガワ)は、深い谷を刻んで西流し、天竜川に注いでいます。伊那谷の竜東地域では、新宮川が運び出した砂礫が特異な扇状地起源の台地を作り、その上に駒ケ根市中沢の中心集落が開け、比較的多くの人口を抱えています。
 中沢峠~高遠間の国道152号を行き来する車の中には、中沢集落から県道49号を通って来た車があります。

分杭峠Ed 中沢峠の少し手前から、粟沢川の深い谷に向かって東側の視界が開けます。西側は伊那山地の山腹を切った高い擁壁が続き、国道は依然として1車線ですが、中沢峠の標識によれば、あと1.3kmで分杭峠です。
 分杭峠が近づくと、国道の東側、1段下がった位置に、シャトル・バス発着所やトイレがあり、一般乗用車は駐車禁止になっています。
 カーブの手前に、国道標識のポールに付随した地名標              <図24.分杭峠の前浦林道への分岐>          識「分杭峠」が現れ、その脇に、車両通行止めの未舗装道路「前浦林道」の峠側入口があります。
分杭峠碑Ed 赤いゲートが開いており、冬季は閉鎖されることが分かります。ここを少し下ると、ゼロ磁場のパワースポットを訪れる観光客向けの「気場」と「水汲み場」があるようです。
 前浦林道は、先述の浦集落から続いていましたが、途中の土砂崩れによって、現在は到達できないそうです。
 前浦林道入口の手前に、人の背丈ほどの『従是北(コレヨリキタ) 高遠領』と刻まれた石柱があります。脇の看板が標高1,424mを示しています。中沢峠から103m、伊那市駅から769m登って来ました。伊那市駅から29.5kmで、53分掛かりました。                                         <図25.「従是北 高遠領」の石柱>
秋葉古道碑2Ed  国道152号のカーブを曲がると、切通しの先に、伊那市と大鹿村の境界があります。
 ここに、秋葉古道への分岐を示す標識があります。この先の道の険しさを示すかのように、「自己責任にて古道歩きを楽しんで下さい」との但し書きが付随しています。古道は、ここから、小渋川の支流=鹿塩川に向けて、分杭峠の東斜面を下って行きます。
 国道は、ヘアピン・カーブを曲がる時に、伊那山地に端を発して東流する鹿塩川の最上流付近を渡り、右に迂回します。その道が戻り始めるところで再度、鹿塩      < 図26.秋葉古道の標識>     川を渡り、それからは、この川を西側に見乍ら、川に沿って坂道を南に下って行きます。
 分杭峠で中央構造線から外た国道が、ここで元に戻りました。
 国道標識のポールに付随した地名標識「大鹿村 北川」がある位置で、東の山から下りて来た道が国道に合流します。入口が通行止めになっていますが、先程の秋葉古道かもしれません。もしそうなら、粟沢川の砂防ダムを迂回しつつ、分杭峠の中央構造線を通って来たのでしょうか?
 
秋葉街道1車線_分杭峠付近Ed 道幅は路肩のない1車線、路面もやや荒れています。 
 それでも、カーブの外側や橋の両側には、必ずガード・レールが設置されています。沢に掛かる小さな橋の欄干手前には、両端ないし対角線位置に、デリネータ(夜間誘導標)が立っています。           
  学生時代に、夜分、松原湖から茅野へ下る道を通った頃に比べれば、随分と改善されていると思いました。

 一時的にセンター・ラインが現れた時があり、そこで路線バスと擦れ違いまし た。なんという幸運かと、胸を撫で下ろしました。                <図27.退避エリア&デリネータ付きの橋>    
 退避エリアが滅多にないのは、地形的に致し方ないのでしょう。幸いにも、対向車とすれ違ったのは1回だけでした。
 自車のライトだけが頼りの、明りのない夜道で、ブラインド・カーブが続く時、土地勘のない私たちは緊張の連続で、気が付けば皆、無口になっていました。後から考えれば、夜だからこそ、対向車が1台だけだったのかも知れません。

【注】 日没後の国道に関する画像に限り、後日、Google Street View でトレースしたものです。

 文責 :  南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ  in  銚子ジオパーク推進市民の会

                                                  ≪ (3)に続く ≫                   
 

国道152号を行く (1)

国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る  (1)
                               
南アルプスJGN全国大会_参加報告』よりの続き

 2014年度の日本ジオパーク・ネットワーク全国大会の日程のうち、2日目の9月28日(日)17:00からは、各自の希望した3日目のジオツアーのために、各ジオツアーの出発点に近い宿舎に、それぞれ移動しました。
 銚子GPのスタッフは、市民の会のうち4名と推進室の3名が、「中央構造線ツアー」を希望したので、赤石山麓にある「赤石荘」を目指しました。
 2台の公用車のうち、推進室の2名が乗った普通車は、伊那IC~松川まで中央高速を使い、ダム湖の脇を抜け、大鹿村に入るルートを選びました。

いなっせ~赤石荘
<図10.Navitimeが示す国道152号ルート>
 
 推進室の1名が運転し、市民の会の4名が同乗したバンは、高遠を経由し、「国道152号」を通り、大鹿村に入るルートを選びました。出発までは、この国道がこれ程、過酷かつ興味深いご城下通りナマコ壁Ed
道とは予想だにしていませんでした。
 それは、この旅行の白眉であり、長く記憶に残るものとなりました。

 JRの「伊那市駅」前を出発、国道361号(権兵衛街道)に乗り、「天竜川」を渡ります。天竜川から東では、国道361号の呼称が「伊那街道」と変わるようです。
 「三峰川(ミブガワ)」流域に広がる高遠の城下町では、ナマコ壁が残る「ご城下通り」の風情を楽しみつつ、国道361号を東進しました。         <図11.ナマコ壁の残る高遠「ご城下通り」>
杖突街道入口Ed 「高遠郵便局」に続く製茶店の角に、「杖突街道」との交差点があります。国道152号は、高遠より北では、往古の杖突街道を、ほぼ踏襲しています。  
 杖突街道は、「藤沢川」に沿って、高遠~茅野間を結び、高遠と茅野の境界は、標高1,247mの「杖突峠」です。
 杖突街道を通って北上した「中央構造線」は、杖突峠を通る「糸魚川静岡構造線」に交差します。

  因みに、糸魚川静岡構造線は、日本海の形成を契機として出来た「フォッ<図12.交差点より杖突街道方面を望む>    サマグナ(大地溝帯)」の西縁で、親不知(糸魚川市)から諏訪湖を通って「安倍川(静岡市)」付近に至ります。
御堂垣外2Ed 杖突峠から茅野へは、このフォッサマグナを下降するため、直距離3kmにして高低差が400m以上もある急傾斜で知られます。

 往古、遠州 相良(サガラ、静岡県御前崎付近)から江戸へ塩を運んだ道は、高遠経由で杖突峠を越え、甲州街道の茅野宿を目指しました。
 旧家の並ぶ街並みを見れば、江戸時代から道幅が広かったことが分かる杖突街道ですが、現在もほぼ全区間にセンター・ラインがあり、よく整備されています。
                                   <図13.杖突街道唯一の本陣があった御堂垣外(ミドウガイト)の街並み
  東進していた国道361号は、突き当りの「高遠公園下」で終わり 、ここが国道152号との交差点です。因みに、出発点の伊那市駅の標高は643m、高遠公園下の標高は755mで、私たちは112m登ってきました。
 
美和湖+R152Ed 国道152号は、ここから南では、往古の「秋葉街道」を、ある程度、踏襲しているため、秋葉街道とも呼ばれます (以後、両者を識別するため、往古の秋葉街道を「秋葉古道」と呼称)。
 私たちも、国道152号に乗って南へ進みます。道の東側は「月蔵山
(1,192.3m)」が天然の要害となり、崖上は小彼岸桜で名高い「高遠城址公園」、手前に美術館や博物館が見えます。

 「仙丈ケ岳(3,033m、赤石山系)」の西麓を源流とする三峰川は、長谷(伊     <図14.美和湖沿いを通る国道152号>     那市)から高遠に下り、北の杖突峠から流れ下った藤沢川と高遠で合流し、伊那市役所の南西1kmで天竜川と合流します。
 三峰川は、かつて “暴れ天竜” の主因を成していましたが、「美和湖(美和ダム)」によって流量が調整されるようになりました。さらに美和湖の調整池の役割を果たしているのが、美和湖の北東側にある「高遠湖(高遠ダム)」です。  
  三峰川沿いに長く続く高遠湖と美和湖の脇を抜ける迄の国道152号は、センター・ラインのある整備された道で、周辺には普通に人家もあります。
安国禅寺Ed 美和湖と国道の間には長谷中学校があり、国道の反対側には伊那市長谷総合支所や長谷小学校があって、ここが長谷(ハセ)の集落の中心部だと分かります。道の駅「南アルプスむら長谷」は、残念ながら今日の営業を終わったところでした。
  長谷中学校の先に、チロル風のお洒落な外観を持った美和郵便局があります。
 その角を折れると「美和湖散策公園(中央構造線公園)」があります。湖畔の散策路を進めば、中央構造線の「溝口露頭」がある筈ですが、日没  <図15.諏訪梶紋と足利二つ引両紋の安国禅寺> が迫っていたので、近づけませんでした。中央構造線に沿って、約  1,500万年前に貫入したマグマが作る岩脈を、見ることができなかったのは残念です。
岡谷の横河川 因みに、中央構造線は、九州から関東へ西南日本を東西に縦断する大断層系で、この構造線を境に、北側を「内帯」、南側を「外帯」と呼びます。
 
中部地方での中央構造線は、水窪 (ミサクボ、浜松市天竜区)からは北上し、「青崩峠」~「分杭峠」~「杖突峠」を越えて、茅野の「諏訪大社上社前宮」付近(茅野市宮川安国寺地区)に達します。即ち、水窪より東の中部地方では、西側が内帯、東側が外帯に相当します。
 諏訪湖を作る断層でずらされた後、中央構造線は、12km北西の岡谷~「横河川」沿いを北上します。フォッサマグナに埋もれて見えなくなった後          <図16.岡谷の横河川>        は、下仁田(群馬県甘楽郡)で露頭が確認できます。
                
 内帯のうち最も外側にあるのが「領家帯(リョウケタイ)」で、水窪の奥領家(オクリョウケ)に由来します。外帯のうち最も内側にあるのが「三波川帯(サンバガワタイ)」で、御荷鉾山(ミカボサン、群馬県)を源流とする三波川に由来します。即ち、中央構造線では、領家帯と三波川帯とが接しています。
 領家帯も三波川帯も、基盤岩は、海洋プレートの沈み込みを契機にしてアジア大陸に付加された「付加体」です。領家帯はジュラ紀に、三波川帯白亜紀に、それぞれ付加された後、主として白亜紀後期に、変作用を受けました。 
 領家帯はマグマによる高温低圧型の、三波川帯は海洋プレートの沈み込みによる低温高圧型のそれぞれ異なる変作用を受けました。
 領家帯の主部は領家類で、この他に、陥入してきた花崗岩も含まれます。三波川帯の主部は三波川類で、この他に、南縁部では御荷鉾(ミカブ)緑色岩類も含まれます。 
秋葉古道碑Ed 領家帯と三波川帯ができた場所は、水平距離で60㎞、上下距離で20㎞離れていましたが、白亜紀後期以降に起きた、中央構造線の大規模な断層活動(衝上断層、左横ずれ断層etc.)によってずらされた結果、両者が接するようになりました。

 南アルプス地域では、ほぼ南北に走る中央構造線が作り出す断層の「破砕帯」を、秋葉古道が通っていました。
 破砕帯の西縁には、深い谷を刻む川が流れています。川の西側に急な崖を作るのが領家変成帯です。破砕帯の東側になだらかな崖を作るのが三波      <図17.秋葉古道の標識>       成帯です。
秋葉古道の様子Ed2 車道として作られた国道152号は、道幅の都合から、主として、川に沿った低地を走っています。
   従って、人が歩く道として作られた秋葉古道は、主として、国道152号からは見上げる高さにあったことになります。
 縄文の昔から、和田峠(下諏訪町)産の黒曜石や、遠州相良の塩が、この街道を通って運ばれたと言われています。

  美和湖を過ぎると、道の西側に「美和貯砂ダム」があって、周囲の山が浸        <図18.復活した秋葉古道(部分)>       食されやすいことが分かります。ここを過ぎ、三峰川に掛かる赤い橋を渡ると、川は国道の東側に変わります。この辺りで日没を迎えました。

 文責 :  南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ  in  銚子ジオパーク推進市民の会

                                            
≪ (2)に続く ≫
 
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