この記事の「・・・(その1)」で記述した千葉八木氏と同族の但馬八木氏は、但馬国造(タジマノクニノミヤツコ)となって但馬国(現・兵庫県北部)を治め、八木宿禰(ヤギノスクネ)と呼ばれていました。
 因みに宿禰とは、天武天皇が制定した八色姓(ヤクサノカバネ)の第三位に当る「神別氏族」の尊称です。八木氏は、神別氏族の中でも「国つ神」に分類されています。

 千葉八木氏の祖先・八玉彦(ヤタマヒコ)命の兄・椎根津彦(シイネツヒコ)命の子孫に、凡海連(オホシアマノムラジ)→海宿禰(アマノスクネ)がおり、大海人皇子(オホシアマノミコ)と呼ばれた幼少時の天武天皇を扶養した海人系氏族です。国宝『海部氏系図』を保持する『(コノ)神社』・神主家の海部(アマベ)氏は、海部直(アマベノアタイ)の直系です。凡海連は、丹波国造(タニハノクニノミヤツコ)だった海部直の弟です。
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 凡海連の領地・凡海郷(オホシアマノサト)は、由良川河口部を中心に、丹後半島の若狭湾側(現・宮津市)から大浦半島の舞鶴湾側(現・舞鶴市)で、発祥地は大浦半島北部・三浜の『三浜丸山古墳群』辺りと見做されています。
 三浜からは若狭湾内の冠島と沓島が眼前に望め、冠島に鎮座する『
老人嶋(オイトシマ)神社』は、籠神社の奥宮とされ、凡海氏の氏神です。
 この島々の大部分は丹後半島側と同じ角閃石安山岩から成り、一部に中新世の凝灰岩・凝灰角礫岩・凝灰質泥岩が露出しています。
 右のGoogle航空写真をダブルクリックすると、古墳・遺跡・神社・城址の位置が分かります。

 舞鶴湾入り口の大浦半島・浦入(ウラニュウ)湾に、縄文海進で形成された300mの砂嘴があります。この砂嘴の付け根部分にある『浦入遺跡』群は、縄文~平安期の複合遺跡です。古墳も、日本海側最古(5世紀)の鍛冶炉も、奈良~平安期の製塩遺構も、見つかりました。凡海氏は、製鉄業も製塩業もこなしていたようです。

 1998年には、ここの約5,300万年前の地層から、縄文前期のものとしては最大・最古級の、推定長8~10mの巨大な杉材の丸木舟が発見され、外洋航行も十分可能だったと推定されています。ここでは碇石や杭も見つかり、日本最古の船着き場と判断されています。