国道152号で中央構造線と秋葉街道を辿る  (1)
                               
南アルプスJGN全国大会_参加報告』よりの続き

 2014年度の日本ジオパーク・ネットワーク全国大会の日程のうち、2日目の9月28日(日)17:00からは、各自の希望した3日目のジオツアーのために、各ジオツアーの出発点に近い宿舎に、それぞれ移動しました。
 銚子GPのスタッフは、市民の会のうち4名と推進室の3名が、「中央構造線ツアー」を希望したので、赤石山麓にある「赤石荘」を目指しました。
 2台の公用車のうち、推進室の2名が乗った普通車は、伊那IC~松川まで中央高速を使い、ダム湖の脇を抜け、大鹿村に入るルートを選びました。

いなっせ~赤石荘
<図10.Navitimeが示す国道152号ルート>
 
 推進室の1名が運転し、市民の会の4名が同乗したバンは、高遠を経由し、「国道152号」を通り、大鹿村に入るルートを選びました。出発までは、この国道がこれ程、過酷かつ興味深いご城下通りナマコ壁Ed
道とは予想だにしていませんでした。
 それは、この旅行の白眉であり、長く記憶に残るものとなりました。

 JRの「伊那市駅」前を出発、国道361号(権兵衛街道)に乗り、「天竜川」を渡ります。天竜川から東では、国道361号の呼称が「伊那街道」と変わるようです。
 「三峰川(ミブガワ)」流域に広がる高遠の城下町では、ナマコ壁が残る「ご城下通り」の風情を楽しみつつ、国道361号を東進しました。         <図11.ナマコ壁の残る高遠「ご城下通り」>
杖突街道入口Ed 「高遠郵便局」に続く製茶店の角に、「杖突街道」との交差点があります。国道152号は、高遠より北では、往古の杖突街道を、ほぼ踏襲しています。  
 杖突街道は、「藤沢川」に沿って、高遠~茅野間を結び、高遠と茅野の境界は、標高1,247mの「杖突峠」です。
 杖突街道を通って北上した「中央構造線」は、杖突峠を通る「糸魚川静岡構造線」に交差します。

  因みに、糸魚川静岡構造線は、日本海の形成を契機として出来た「フォッ<図12.交差点より杖突街道方面を望む>    サマグナ(大地溝帯)」の西縁で、親不知(糸魚川市)から諏訪湖を通って「安倍川(静岡市)」付近に至ります。
御堂垣外2Ed 杖突峠から茅野へは、このフォッサマグナを下降するため、直距離3kmにして高低差が400m以上もある急傾斜で知られます。

 往古、遠州 相良(サガラ、静岡県御前崎付近)から江戸へ塩を運んだ道は、高遠経由で杖突峠を越え、甲州街道の茅野宿を目指しました。
 旧家の並ぶ街並みを見れば、江戸時代から道幅が広かったことが分かる杖突街道ですが、現在もほぼ全区間にセンター・ラインがあり、よく整備されています。
                                   <図13.杖突街道唯一の本陣があった御堂垣外(ミドウガイト)の街並み
  東進していた国道361号は、突き当りの「高遠公園下」で終わり 、ここが国道152号との交差点です。因みに、出発点の伊那市駅の標高は643m、高遠公園下の標高は755mで、私たちは112m登ってきました。
 
美和湖+R152Ed 国道152号は、ここから南では、往古の「秋葉街道」を、ある程度、踏襲しているため、秋葉街道とも呼ばれます (以後、両者を識別するため、往古の秋葉街道を「秋葉古道」と呼称)。
 私たちも、国道152号に乗って南へ進みます。道の東側は「月蔵山
(1,192.3m)」が天然の要害となり、崖上は小彼岸桜で名高い「高遠城址公園」、手前に美術館や博物館が見えます。

 「仙丈ケ岳(3,033m、赤石山系)」の西麓を源流とする三峰川は、長谷(伊     <図14.美和湖沿いを通る国道152号>     那市)から高遠に下り、北の杖突峠から流れ下った藤沢川と高遠で合流し、伊那市役所の南西1kmで天竜川と合流します。
 三峰川は、かつて “暴れ天竜” の主因を成していましたが、「美和湖(美和ダム)」によって流量が調整されるようになりました。さらに美和湖の調整池の役割を果たしているのが、美和湖の北東側にある「高遠湖(高遠ダム)」です。  
  三峰川沿いに長く続く高遠湖と美和湖の脇を抜ける迄の国道152号は、センター・ラインのある整備された道で、周辺には普通に人家もあります。
安国禅寺Ed 美和湖と国道の間には長谷中学校があり、国道の反対側には伊那市長谷総合支所や長谷小学校があって、ここが長谷(ハセ)の集落の中心部だと分かります。道の駅「南アルプスむら長谷」は、残念ながら今日の営業を終わったところでした。
  長谷中学校の先に、チロル風のお洒落な外観を持った美和郵便局があります。
 その角を折れると「美和湖散策公園(中央構造線公園)」があります。湖畔の散策路を進めば、中央構造線の「溝口露頭」がある筈ですが、日没  <図15.諏訪梶紋と足利二つ引両紋の安国禅寺> が迫っていたので、近づけませんでした。中央構造線に沿って、約  1,500万年前に貫入したマグマが作る岩脈を、見ることができなかったのは残念です。
岡谷の横河川 因みに、中央構造線は、九州から関東へ西南日本を東西に縦断する大断層系で、この構造線を境に、北側を「内帯」、南側を「外帯」と呼びます。
 
中部地方での中央構造線は、水窪 (ミサクボ、浜松市天竜区)からは北上し、「青崩峠」~「分杭峠」~「杖突峠」を越えて、茅野の「諏訪大社上社前宮」付近(茅野市宮川安国寺地区)に達します。即ち、水窪より東の中部地方では、西側が内帯、東側が外帯に相当します。
 諏訪湖を作る断層でずらされた後、中央構造線は、12km北西の岡谷~「横河川」沿いを北上します。フォッサマグナに埋もれて見えなくなった後          <図16.岡谷の横河川>        は、下仁田(群馬県甘楽郡)で露頭が確認できます。
                
 内帯のうち最も外側にあるのが「領家帯(リョウケタイ)」で、水窪の奥領家(オクリョウケ)に由来します。外帯のうち最も内側にあるのが「三波川帯(サンバガワタイ)」で、御荷鉾山(ミカボサン、群馬県)を源流とする三波川に由来します。即ち、中央構造線では、領家帯と三波川帯とが接しています。
 領家帯も三波川帯も、基盤岩は、海洋プレートの沈み込みを契機にしてアジア大陸に付加された「付加体」です。領家帯はジュラ紀に、三波川帯白亜紀に、それぞれ付加された後、主として白亜紀後期に、変作用を受けました。 
 領家帯はマグマによる高温低圧型の、三波川帯は海洋プレートの沈み込みによる低温高圧型のそれぞれ異なる変作用を受けました。
 領家帯の主部は領家類で、この他に、陥入してきた花崗岩も含まれます。三波川帯の主部は三波川類で、この他に、南縁部では御荷鉾(ミカブ)緑色岩類も含まれます。 
秋葉古道碑Ed 領家帯と三波川帯ができた場所は、水平距離で60㎞、上下距離で20㎞離れていましたが、白亜紀後期以降に起きた、中央構造線の大規模な断層活動(衝上断層、左横ずれ断層etc.)によってずらされた結果、両者が接するようになりました。

 南アルプス地域では、ほぼ南北に走る中央構造線が作り出す断層の「破砕帯」を、秋葉古道が通っていました。
 破砕帯の西縁には、深い谷を刻む川が流れています。川の西側に急な崖を作るのが領家変成帯です。破砕帯の東側になだらかな崖を作るのが三波      <図17.秋葉古道の標識>       成帯です。
秋葉古道の様子Ed2 車道として作られた国道152号は、道幅の都合から、主として、川に沿った低地を走っています。
   従って、人が歩く道として作られた秋葉古道は、主として、国道152号からは見上げる高さにあったことになります。
 縄文の昔から、和田峠(下諏訪町)産の黒曜石や、遠州相良の塩が、この街道を通って運ばれたと言われています。

  美和湖を過ぎると、道の西側に「美和貯砂ダム」があって、周囲の山が浸        <図18.復活した秋葉古道(部分)>       食されやすいことが分かります。ここを過ぎ、三峰川に掛かる赤い橋を渡ると、川は国道の東側に変わります。この辺りで日没を迎えました。

 文責 :  南アルプスJGN全国大会に参加したHP&ブログの担当スタッフ  in  銚子ジオパーク推進市民の会

                                            
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