『 伊能忠敬日誌と当時の天候 』 会員メール集(中)_市民の会 

(上)からの続き
【 6 】 日付 : 201593日 0:13
          件名 : Re:享和元年の明日、差出人 : Mr.B(1)

銚子からの富士山の方位測量ですが、測量日記では旧暦726日早朝となっています。
新暦では180193日です。

実は、Mr.Sにお聞きしたいと思っていたことですが、今は、この時期、富士山を目視することはほとんど無理ですが、忠敬の銚子滞在中の天気から、当時の気象状況を推測して頂けないでしょうか?

肝心の気温、気圧、風向、風速などのデーターはありませんが、天候の記載はほぼ毎日あります。
因みに一か月分の天候は、a

7189朝六つ2・3分頃大地震、晴れ曇り、夜晴れ(地震の記載は結構あります)
72810朝より曇り・・・・・・・・・・・現在の館山着
73811朝より曇り、昼晴れ曇り、夜晴れ間
74812朝より曇り、日々大南風、海面不晴れ
75813朝より曇天、南風、4ツ頃より午前雨
76814朝晴れ曇り
77815朝より晴天、南風にて海上不晴れ、夜晴れ
78816朝より晴天、夜晴天
79817朝より晴天、夜晴れ
710818北風晴れ曇り
711819朝より曇り、午前小雨、
712820朝より晴れ、夜晴れ
713821朝より晴れ、海面曇り
714822朝より中晴れ
715823霧深し、
716824朝より晴れ、夜晴れ・・・・・・・蓮沼付近
717825記載なし
718826晴天 ・・・・・・・・・・・・・銚子着
719827朝晴れ、午後白雨あり(しぐれ?)
720828朝晴れ、曇り
721829朝より大雨
722830
723831曇天
72491朝より晴れる。しかれど海面靄おおく遠測ならず、午中太陽測る。
72592晴天、暁7ツごろより今朝6つ後まで雨それより晴天午中太陽を測る。
       午後筑波山、日光山測る。
72693晴天、犬若岬に富士山の方位測量に成功
72794朝より晴れ、山海とも靄、夜曇天・・矢田部着
72895夜曇天・・・・・・・・・・・・・・国末村着
72996朝より曇天、午後小雨・・・・・・・汲上村着
です。

a
【 7 】 日付 : 201593日 7:46、
     件名 : Re: 享和元年の明日、差出人 : Mr.S(4)
 

伊能忠敬測量日誌、天候記載の詳細な資料、ありがとうございます。
a
214年前の93日は、未明(あるいは2日の夜)、
南岸に停滞する秋雨前線に沿って、発達した低気圧(あるいは台風)が東進して、
気圧配置がダイナミックに変わった・・・
a
と、勝手に夢想しておりました。
が、日誌からは、そのような激しいことは起こっておらなかったようですね。
a
将来、伊能忠敬の大河ドラマが実現したときには、日誌よりも我が夢想の方が「絵になる」かも(笑)
a
>忠敬銚子滞在中の天気から、当時の気象状況を推測・・・
につきましては、少々お時間をいただき、愚考してみます。
a

【 8 】 日付 : 201597日 22:12、
     件名 : 夢想)伊能日誌からの気象状況、差出人 : Mr.S(5)
a

先日の宿題
>忠敬銚子滞在中の天気から、当時の気象状況を推測・・・
ですが、古い川柳 『講釈師 見てきたような 嘘をつき』 を頭におきつつ、以下をお読みください(笑)

まず、日誌からの1ヵ月間の天候の全般的な印象ですが、

銚子方面を望むEd2通常の年でしたら、この期間(8月の中~下旬)は「立秋」を過ぎたとはいえ、
まだまだ太平洋の高気圧に覆われ、ギラギラ照りつける太陽、「残暑厳しい季節」なんですが、
測量日誌には「曇天」の記載が多いですね。
a
享和元年(1801年)の夏は、太平洋の高気圧の張り出しが弱かったようですね。
ことによると今夏のようなエルニーニョ現象が起こっていたのでしょうか?

                                                            < 図1.富士山測候所(当時)より銚子方面を望む、手前は噴火口 >    銚子に到着した、826日(日付は新暦、以下同じ)以降の気象状況ですが、                            
27日『朝晴れ、午後白雨あり(しぐれ?)』 
28日『朝晴れ、曇り』

両日とも、朝、晴れてはいたが方位の測量はできなかったようです。


「朝の天気は良かったが、富士山までの見通しはなかった。
27日は午後になって雨が降り、 

湧きあがる夏の朝雲Ed228日は雲に覆われてしまったことからも、水蒸気が多かったと考えられ、見通しが悪かった。
その後の天候の推移からも、西日本には秋雨前線を伴った低気圧が現れ、東に進んでいた。
銚子あたりでも、その影響を受け始めた(秋雨の始まり)」
(補注) 『 』の中は日誌の引用、
      「 」の中は私の愚考
a

            < 図2.湧きあがる夏の朝雲_富士山頂付近 >  
29日『朝より大雨』
「前日、西日本にあった低気圧が、それほど発達することなく東へと進み、関東の南岸を通

銚子など関東地方は南の地方ほど大雨」
a

30日『雨』
31日『曇天』
29日、関東の南岸を通過した低気圧は、急速に発達する(いわゆる南岸低気圧のような)ことがなかったために、低気圧の後ろ側への、乾燥した寒気の移流が弱く、

「台風一過」のような気象状況にはならずに、南岸に秋雨前線が停滞して、雨や曇天のぐずついた空模様になった」a

91日『あさより晴れる。しかれど海面靄おおく遠測ならず、午中太陽測る』
「南岸の秋雨前線がやや南下、弱いながらも寒気が移流。

朝は晴れたものの、年間で最も海面水温の高いこの季節、海面からの水蒸気と寒気とから靄ってしまった。 

気温が高くなる正午を過ぎる頃(午中)には、晴れ上がる(ことわざ:朝靄は昼間の天気)。
ただし、西からは秋雨前線に沿って低気圧が接近中」
a

夏の富士山測候所Ed22日『晴天、暁7つ頃より今朝6つ後まで雨
それより晴天午中太陽を測る。午後筑波山、日光山測る』

a「いったん南下した秋雨前線、夜の間に北上し、前線に沿って低気圧が東進、夜明け頃、銚子付近を通過し、雨が降った。 

太陽が昇るにつれて好天、筑波山などの方位を測量(富士山の測量までは手が廻らなかった?)」a
3日『晴天、犬若岬に富士山の測量に成功』
「前日(9.2)の早暁に通過した低気圧の後ろ側には、大陸からの高気圧が張り出し、  < 図3.富士山測候所(当時、富士山頂剣ヶ峰に設置されていたと登山客 >
燥した寒気の移流があって、2日の午後から見通しが良くなった。おめでとうございます」a
4日『朝より晴れ、山海とも靄、夜曇天・・矢田部着
「移動性の高気圧に覆われ、朝晴れわたり、放射冷却もあって靄」
a
以上あくまでも、勝手な夢想の話、お笑いください。
a
もうひとつ
>今は、この時期、富士山を目視することはほとんど無理ですが・・・
につきましては、別の笑い話をメールします。
(下)につづく